今ならメンドクサイ人に絡まれることもないでしょうし。たぶん。
関心ない、わからないなりにモヤモヤ考えてたことを言葉にしただけですが、結構長くなりました。
4000字超えとか初めてでござる。
目次
あまり関心のない安保法案について考えた理由
某は、あまり政治に対して関心がありませぬ。
基本的に自分以外のことにあまり興味がない某は、国や社会が何をしようが無視して好きにやろうと思っているので、安保法案のことも対岸の火事くらいにしか思っておりません。
「ふーん」って感じでござります。
そんな某が、安保法案について書こうと思ったのは、あるラジオ番組のせいでござる。
その番組のDJは、反対派団体のSEALDsについて「よくわからないけど、声を上げるのは立派だ」というような発言をしており、これが癇に障ったのでござります。
『声を上げる=立派』が無条件に成り立つなら、ヘイトスピーチのようなものも立派ということになってしまうやないかーい!(髭男爵風)と。※『SEALDs=ヘイトスピーチ』と言ってるわけではない。
元々、TVやラジオのような強い影響力を持つ受動的媒体で、特定の価値観を垂れ流す行為は止めるべきだと考えている某には、なんとも不快なものでありました。
強いメディアで発言するならせめて、わからないなりに考えて、その考えを述べた上で発言できないのかと思ったので、わからないなりに安保法案を考えてみることにしたわけです。
安保に対する自分の認識
まず、自分の安保法案にたいする認識を書いてみます。
安保法案なんぞや
- 集団的自衛権を行使できる範囲が広がる
- 日本が直接攻撃されなくても自衛隊を派遣できる
上の2つのことができるようになるよって法案だという認識でござる。
細かいことは知りませぬ。あってるかもわかりませぬ。
賛成派の意見
- 中国などの脅威に対抗するために早く通さないといけない
- 同盟なのにアメリカだけ戦うのはおかしい
- 国際社会のことを考えると必要
賛成の理由としてあげられる意見は、ざっくりこのくらいと認識しています。
反対派の意見
- 違憲だからダメ
- 戦争に巻き込まれたくない
- 戦争は悪
反対の理由としてあげられる意見は、ざっくりこのくらいと認識しています。
自分の立ち位置
先に述べておいた方が良いと思うので、自分の立ち位置を明確にします。
某は、安保法案については「あった方が良いという人がいるなら作ってもいいんじゃないか」くらいの賛成でござります。
ここまでが、考える上での材料になります。
認識を元に安保法案について考える
ここから、認識を元に色々と考えていきます。
認識が間違っている場合もありえますが、その場合はまた考え直せばいいので、このまま進めますでござるよ。
まず『正義』に関わるものを除く
某がもっとも信用しないもののひとつに『正義』があります。
何故かといいますと『正義』は、断罪に走りがちですし、色んな要因で変化するので判断基準として適切でないと考えるからでござります。
例えば、殺人は悪とされますが、正当防衛や死刑は正義とされたりしますしね。
ですので、先ほどの賛成・反対意見の中から『正義』っぽいものを排除します。
- 同盟なのにアメリカだけ戦うのはおかしい
- 戦争は悪
この項目がそれに当たると思うので、これについては考えないことにするでござります。
それぞれの言い分に共感できるか
続いて、それぞれの言い分について、共感できるかを考えていきます。
善悪や、あってるかどうか、自分の意見などはさておき、発言者の心情を理解できるかを考えまする。
- 中国などの脅威に対抗するために早く通さないといけない
- 国際社会のことを考えると必要
- 違憲だからダメ
- 戦争に巻き込まれたくない
言い変えてみると
- 「敵に対抗する手段がないと怖い」 → わかる
- 「協力関係を築かないと不利になってしまう」 → わかる
- 「ルールを曲げたらルールの意味がない」 → わかる
- 「実害を被りたくない」 → わかる
といった感じでしょうか。
どれも気持ちはわかるので、ここを基準にするのも難しいでござる。
それぞれが懸念している事態が起こる可能性があるか
続いて、それぞれが懸念している事態が実際に起こる可能性を考えていきます。
- 中国が攻撃してくる可能性 → ある
- 国際社会に協力しないことで不利益を被る可能性 → ある
- 違憲である可能性 → ある
- 戦争に巻き込まれる可能性 → ある
可能性の話をしだすと、明日地球に隕石が降ってくる可能性もゼロではないので、どれもあるとしか言えません。
だからといって、あらゆる要素を検証して、それぞれの可能性を比較するのは無理です。
仮に完璧に計算して、一番確率が高いケースを特定できたとしても、確率が低いケースが起こらない訳ではなく、予想が外れる可能性は常にあるのでござります。
どちらの可能性にかけるのか
可能性の比較は難しく、読みが外れることもあるので、どちらの言い分が信憑性が高いかを比べても仕方がないっぽいことがわかりました。
じゃあ今度は、ちょっと可能性の話を極端にして、戦争が起きる・起きない可能性はゼロになるのかという視点で考えてみます。
繰り返しになりますが、隕石が降ってくる可能性もゼロではないので、戦争が起きる可能性は決してゼロにはならないと言えると思います。
そしてもちろん、今後一切戦争が起きない可能性もゼロではないです。
ではどちらの可能性にかけるのがより安全だろうと考えると、某としては、起きる可能性を考えて備えをしておく方が安全と思うのでござります。
起こらない可能性にかけるメリットもありますが、こちらギャンブルっぽいので、某は選ばないでござるね。
可能性の検証が不可能なのと同じく、どちらの方が利益が高いかを検証するのも不可能だと思うので、これは完全に好みの問題になります。
そもそもの目的を考える
ここまで、それぞれの言い分や可能性について考えてみましたが、結論が出なさそうなので、ちょっと賛成・反対から距離をとって、そもそも何がしたいのかを考えてみるでござる。
某の視点からは、賛成派も反対派もどちらも戦争を避けようとしているように思えます。
法案が通ることによって戦争になる確率が、下がると思っているのが賛成派、上がると思っているのが反対派ということなんではなかろうかと。
安保法案に賛成か反対かというフレームで話すから対立するのであって、目的は一緒っぽいのです。
一緒っぽいというか、戦争を避けたいという思いは、たぶん世界中の大体の人に共通するんじゃないでしょうか。
戦争を避けたい思いと安保法案
戦争を避けることと、安保法案はどう絡むでしょうか。
某としては、まったく絡まないと思うのでござります。
というのも、安保法案というのは、戦争が起きてしまった時か、起こりそうな時に役に立つもの、つまりは戦争に対する備えだと思うからでござる。
そもそも、避けることを目的としている法案ではないということですね。
だからといって、起きた時の備えをすること=侵略戦争の準備ではありません。
なので、ここまで考えの軸にしていた下の2つは両方とも間違いということになります。
- 備えをする=戦争回避 (賛成派)
- 備えをする=戦争準備 (反対派)
思うに、戦争に備えるという話と、戦争を避けるという話がごっちゃになってしまっているために、話が噛み合わない状態になるのではないでしょうか。
備えと回避は両立できる
戦争に備えるという話と、戦争を避けるという話は、まったく別次元の話のっぽいことがわかりました。
戦争を避ける手段を実践していけば、戦争にならないから備える必要はないという人もいますが、上の方で書いたとおり、戦争が起きる可能性は絶対にゼロにならないので、備えがいらないということはありません。
避けることも備えることもどちらも必要でござります。
そして、それぞれが別の話なのであれば、両立することもできるはずでござります。
せっかくなので、その辺りのことも考えていきましょう。
まずは、戦争を避ける手段について、できることを考えます。
- 世界に戦争放棄を呼びかける
- 戦争になったら世界経済が大変になりそうな国にする
- 国際貢献や、観光などで国の好感度を上げる
- 良いことをして日本人の好感度を上げる
- 歌で止める
こちらは、大きいことから小さいことまで色々な手段がとれそうでござるね。
対して、戦争に備える方向ではどうでしょう。
本当に戦争が起きてしまった時の備えは軍事力の強化以外の道はないのではないでしょうか?
アメリカに守ってもらうという手もありますが、アメリカはアメリカの利益や国民が最優先なので「ごめん、無理」と言われてしまうこともありえます。
さて、それぞれの手段を比べてみるとどうでしょう。
避けるための手段に、軍事力の強化をすることで使えなくなるものはほとんどないのではないでしょうか。
唯一、使えなくなるものがあるとすれば、軍縮を呼びかける系の手段のみ。
だったら他のことで十分カバーできるのではないでしょうか。
仕事頑張ってもいいし、ボランティアしてもいいし、イベント開催してもいいし、システム作ってもいいし、歌ってもいいし、絵を描いてもいい。
それぞれ得意なことを活かせば、デモとかするよりもずっと楽しいでしょうし、広がりも大きくなるでしょうし、パフォーマンスもいいと思います。
平和は多くの人の願いですから、色んな人と連携をとって、色んな活動ができると思うのでござります。
まぁ、デモやってもいいですけどね。
まとめ
安保法案について、わからないなりに考えた結論は以下の2点でござります。
- 戦争が起きる可能性は絶対にゼロにはならないので、備えは必要。
- 戦争を起こさない努力は、色々な手段が取れるのでそっちでやった方が効率が良い。
某の思いつくところの、一番ベターなものがこれになります。
正しいかどうかは知らない、というか、こういうものに正解はないので気にしないでござる。
さて、色々と書いて来ましたが、某がこの記事で言いたいことはたったひとつでござります。
『公共の電波で価値観垂れ流すなら、せめて、このくらいの前置きを付け加えて発言しろ』
知らなくても間違っていても、考えることくらいはできるでござろう。
以上、マスメディア憎しの記事でござりました。
個人的にはどういう価値観を持っていても良いと思いますが、メディアでそれを発言するのはいかがかと思うでござる。
にゅんにゅん。