某の考え事や悩み事を描き散らしたノートを公開します。
字が達筆なのはご愛嬌という事で。
今回のお題は「神戸連続児童殺傷事件加害者 元少年A手記 絶歌について思ったこと」でござる。
神戸連続児童殺傷事件は、別名「酒鬼薔薇事件」や、「酒鬼薔薇聖斗事件」と呼ばれる、1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の少年による連続殺傷事件のこと。
この事件の加害男性である元少年Aの手記「絶歌」が、今日出版されたのだそうです。
遺族に無断で書かれたものらしく、被害者男児の父親が出版中止を求めているのだとか。
当時の盛り上がりは相当なもので、「地下鉄サリン事件」や「阪神・淡路大震災」(共に1995年)と並ぶかというほど、連日連夜報道され、関連本も大量に出版されていました。
私見ですが、このようなメディアの対応が、「異常な事件を起こせば世間から注目される」という認識を人々に与えてしまったように思います。
あの時のあの対応が、その後の「てるくはのる事件(1999年)」「ネオむぎ茶事件(2000年)」「秋葉原無差別殺傷事件(2008年)」等の事件を産んだきっかけであるとすれば、メディアが社会に与えた悪影響は計り知れないものがあります。
この上、加害者に金が入るとなれば、一発当ててやろうと思う人間を更に増やしてしまうのではないでしょうか。
凶悪な事件が起きた際に、遺族の方がメディアに対して「報道してください」というケースもありますから、事件の情報を発信する事は、社会に対し何かしら意味があるのでしょう。
しかし、今回のケースは、社会にとっていい影響があるとはちょっと思えません。
誰も責められない自然な現象
この出版問題は、確かになんかモヤっとするんですが、そもそも一体何が問題なんでしょう?
殺人が利益を生むことが嫌なんでしょうか。
でもそんなことは今に始まったことではありません。
加害者に金が入ることが嫌なんでしょうか。
加害者に一銭も入らず、遺族や出版社だけに金が渡ればモヤモヤしないかもしれません。
ですがその場合、刑期を終えている人間の権利を、そこまで侵害するのはマズイのではないかという問題が出る気がします。
加害者が自分の言い分を語ることが嫌なんでしょうか。
それは、加害者を取材して聞き出した発言をまとめて出版することと何も変わらない気もします。
この問題がモヤモヤするのは、遠慮なくぶん殴れる悪者がいないところなのかもしれません。
出版社が売れそうな本を出版するのは当たり前だし、加害者は法律的には償いが済んでいるし儲ける権利もある、そして我々はこの本を読んでみたいと思ってしまう。
みんながちょっとずつ悪いですが、どれも責めるに責められない、野生の掟のようなもので、どうしようもない状態なのだと思います。
とりあえず本は買わない
恐らく、今の社会は、悪目立ちであろうと目立ってしまえば利益を上げられる可能性がある場所なのでしょう。
最近あったドローン少年の事件も、同様の原理が働いた結果のように思います。
このような現状に対し、我々ができることはあるでしょうか。
某の頭では、せいぜい粗悪なコンテンツに利益を回さないことくらいのものしか考え付きません。
見ず、話さず、金を払わない。せいぜいそんな程度。
こうしてアクセス数のために、この件に関する記事を書いている某が言えることではないのですけどね。