クリエイターで、ビアンで、非モテで、オタクで、非正規労働者な嗚呼蛙が、
世の中とかについて、ふと思ったことを綴っていきます。
今回は、「差別と区別」について書いてみます。
先日、「『これは差別ではなく区別だ、という発言をする人は差別をしている』
という内容のツイートが流れて来たけど、これはどういう意味?」と聞かれたので、
「『俺の差別は差別じゃない』と言い張るヤツは差別野郎だってことなんじゃない?」と某は答えました。
差別と区別は別だ、という考えはよく耳にしますが、実際どう違うのでしょうか。
そもそも言葉の定義からよくわかっていない某でござる。
差別について、Wikipediaでは『社会学においては特定の集団や属性に属する
個人に対して特別な扱いをする行為を意味する』と書いてあります。
区別について、コトバンクでは『事象の間にある差異を識別し、認定すること』と書いてあります。
この定義を採用するとすれば、「あなたは○○だから××しなさい」の類のモノは全て差別ということになりますね。
ポピュラーなところでは「女は家、男は外」のようなものや、
「同性カップルは結婚できません」とか、「高額所得者だから税金いっぱい納めなさい」とか。
逆に、「正社員には給料を多く払います」とか、優遇する方向の特別扱いも差別ですし、
「犯罪者は刑務所に入れます」といったルール上の特別扱いや、
「背の高い人は低い人の後ろに並びましょう」のような、大して害も特もないものも差別と言えることになります。
では、区別とはどのレベルのことを言うのでしょう。
『事象の間にある差異を識別し、認定すること』とありますが、認定をした瞬間から、
「あなたは○○だから○○らしくしなさい」のような意識、特別扱いが発生するのではないでしょうか。
ならば、区別した時点で、それはもう差別であり、誰しも日常的にやっているということになります。
やっても大丈夫な差別と、ダメな差別の線引きはどこでしたら良いのでしょう。
某は、自分の望まない差別構造に強制的に入れられるかどうかがそのラインかと思いますが、
そうすると今度は、強制的のラインがどこなのかという疑問が発生します。
例えば、「いじめられたくなければ転校しろ」というようなものは強制なのかどうなのかとか。
単なる言葉遊びかもしれないですが、そんなようなことを考える某でござる。
いつか「これだ!」という案を出せたらいいなと思うでござるよ。
にゅんにゅん。